70年代のフォーク・ソング大ブームの頃に半年に一回コンサートを開いていました。
今はライブがほとんどですが当時は“ライブ・ハウス”と呼ぶホールがまだまだなくて、
フォークもロックもジャズもコンサート・ホールで催すのが一般的です。
その頃は各地方にアマチュアの“フォーク・サークル”がかなりの数が結成されていたの
ですが、このサークルとは、高校、大学の“フォーク・ソング・クラブ”に在籍していた
先輩達が卒業後に同好の士を募って再びコンサート等の音楽活動を続ける為の
サークルで日本各地に数多く存在しておりここからプロも輩出しています。
コンサートを開く時にはこのサークルの人間が自分達で全て企画します。
*どの程度の規模(収容人数)のホールを借りるか
*入場料をいくらにするか
*プロのゲストを呼ぶか
*コンサートのポスター、チラシ、チケット、そして当日のプログラムのデザインと作成
*マイク等のPAをどこでレンタルするか(備え付けのもホールもあります)
等などを全て自分達で決めるのですが、これを決める会議を市民会館や各市役所の
会議室を借りて企画会議を開き上記の事柄を決めて行きます。
サークルには3~4人ほどのバンドが30~50組程いるので全員でお金を出すと
結構集まりますが、全員が出演出来るコンサートになるので4時間程のコンサートに
なることもありました。
ホールは主に市民会館等の公立の会館利用が費用が安いので多かったのですが、
収容人数が500~800人以上なので満員にするのは苦労します。
そこで現在はないのですが大阪の“森之宮”に“森之宮コンサート・ホール”があり、
このホールには大、中、小とその収容人数の規模で3種類があり“小ホール”が
収容人数も確か300人程、ホール代金も12万ほどで借りれたので(これでも安い
)ここをよく利用しました。
ただ、人気のあるホールなのでコンサートの日時を押えるためには他のサークルの
開く日と同じになると抽選になります。
コンサートの当日は、朝一番(だいたい8時ごろ)に会場へ行き、ホールの鍵をもらいます。
そしてまずステージの照明の準備にかかります。フロント、センター、舞台横などの
各ステージ用ライトにゼラチン…照明のカラーです…を付けます。
つまり各照明の色はゼラチンと呼ぶ色の付いたビニールのような透明な膜を回転する
器具に取り付けて色を変える事が出来ます。
このゼラチンも自分達で電気屋街で購入。
これと同時にPAの搬入とセッテイング。
マイク、マイク・スタンド、ギター・アンプ、ベース・アンプ、ミキサー、
ステージのモニター用スピーカー、各種シールド類等も楽器店などでレンタル。
コンサートでのミキシングや先の照明はもちろん自分達でやります。
各出演者のリハを行い、会場入り口にチケットのもぎりの準備、
出演者と関係者全員の昼食の手配、ゲストを呼んでいればゲスト用控え室の
準備等など…。
このように一から全て自分達で企画してコンサートを開いていました。
この頃に自分達で企画して開いたコンサート・ホールや演奏で出たホールは、
*森之宮コンサート・ホール(小ホール)*森之宮コンサート・ホール(中ホール)
*郵便貯金会館*東大阪市民会館*東大阪市立会館*フェスティバル・ホール
*厚生年金中ホール*神戸国際会館コンサート・ホール*芦屋ルナ・ホール
*毎日新聞コンサート・ホール*読売会館*南御堂会館*天王寺野外音楽堂
*服部緑地野外ステージ
等など今はなくなったホールが多くあります。
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