(とりあえず更新)
2010年もそろそろ沖縄より暑い高音多湿の大阪の夏が近づいて来た・・・。
で、夏と言えば海ですが、昭和40年頃には大阪にも泳げる海が近くにありました。
当時はまだ電車と同じく架線から電気を供給するパンタ・グラフを屋根に付け、レールの上で
はありませんが(普通のバスと同じくタイヤ)架線の下を走る“トロリー・バス”(変な名前)
も”チンチン電車”(この呼び名は慣れてるけど)も庶民の足として元気に走っていた古き良き
時代。(・・・ここからは昔を懐かしむおっさん話の始まり)
海へ行くにはアベノから“チンチン電車”に乗って30分もあれば海水浴場のある終点駅の浜
寺公園に着くのですが、子供心にこの電車に乗るのはうれしくて楽しみでした。
車内は座席も窓枠等も全て木製で、線路は民家の裏の軒下すれすれを走ります。
終点駅の“浜寺公園前駅”に降りると突然海の潮の香りと波の音!
もうここから子供も大人も気分がハイテンション!
駅から海水浴場に続く狭い道の両脇には食べ物屋、お土産屋、海水浴客目当ての浮き輪、
水中メガネ等を軒先に吊るして売っている店がずらり~と並び、やがて足元の地道も海の
砂が増えて行き歩きにくくなって行きます。
と、今頃の季節になると自分の生きた子供の頃の昭和の夏の思い出が蘇りますな。
“蝉(せみ)獲り”もやりました。
夏になると虫取り用のアミと虫かごを町内のどこにでもあった“おかし屋”さん(子供がお客
さんの駄菓子屋)で買い、同じくこの時期に店先に並ぶ“昆虫採集セット”も持ってセミを捕獲
しに行きました。
この“昆虫採集セット”とは、注射器(もちろん針付き)とピンセットや液体状のわけの分から
ん薬ビンが2、3個のセットで、セミを捕まえて注射でこのわけのわからない薬をブスっと射ち
ます。多分標本にするために腐らないようにする防腐剤の一種だとは思いますが、小学生が
虫取り用のアミと注射器を持ってうろうろしていました。
そういえば、
今思うとこの危険な薬入りの注射器を自分で刺した、とか“昆虫採集注射針殺人
事件”なんてのは一件も起らなかった。
今は当然販売出来ないはず。
もし今も売っていたらえらいことになる、と思うな。
そうそう“カエル獲り”もやった!(!はええ)
アオガエル、トノサマガエル、ツチガエル、ウシガエルなどが田んぼ(大阪にもまだまだ多かっ
た)に行けばなんぼでもいてます(一部大阪弁仕様)。
もちろんザリガニもそこらの川にいくらでも。
さっきの昆虫採集の例の注射はカエルにも射ってました。
(よくマンガにあったカエルのお尻にストロー刺して息を吹き込んで爆発させる、なんて残酷な
事は誰も、少なくても関西人はやってません。 注射はしたけど)
そうそう町内(この言い方は死語か?)や商店街の文房具屋(今はオフィス用品ストアーか
ぁ?)で“蚕(かいこ)”も売っていました。
年中でななくて確か旬の夏だけですが、もちろんあの生きている、口から糸を吐く、モスラです。
蚕数匹と彼らの食用になる桑の葉とセットで売っています。
ひつこいようですが文房具店で。
そして蚕が食べる餌の桑の葉が彼らに食べ尽くされてなくなればもちろん買いに行きます。
蚕はこの桑の葉しか食べないのですが(今はDNA操作で違うらしいけどパンダやコアラと同
じく超偏食)、ある日無くなったのでそこらの雑草を蚕を飼っている箱に餌としていれておきました。
朝になると全ての蚕は干からびていました。
ま、ちゃんと正しく桑の葉を与えているとある日突然ホンマに口から糸を吐きます。
ホンマにモスラとおんなじやんけ!(ホントはモスラが蚕のマネなので逆やね)
と家族一同興奮のるつぼです。
そこでマッチの箱とか割り箸で適当なものを作ると蚕達はやがてそこらに繭を作り始めます。
2、3日で鶏の卵のような形の繭になり、ある日その繭からモスラになって飛び立つのです!
ただのガ・・・でしたが。
もひとつ思い出しました。
これは季節とは関係はありませんが“シーモンキー”を飼い(?)ました。
今でも売っているかもわかりませんが、当時の子供用の雑誌の通信販売の広告に、
『さあ、君もアメリカですごい人気の水の中で生息するシー・モンキーを飼おう!
とっても可愛ゼ!』
のキャッチコピーでまんまと買ってしまいした。
送られて来たのはプラスチック容器・・・縦20センチ程の円筒形でところどころがレンズ状で
中の虫・・・いやシーモンキーが少し大きく見えます・・・と一見すると砂に見える砂状の(じゃ
あ、砂か)モノが入った小さなビニール袋。
容器に水を入れた後にこの砂のようなモノを入れて一日経って朝になると、
おおっ!容器の中に虫が、いや“海のお猿”ことシーモンキーが無数に泳いでいる!
まるでボウフラのように見えるので学校から帰ると、
「気持ち悪い虫が水の中に沸いていたから ほった」
と言われました。
昭和40年頃(1965年頃)の暑い夏の良き思い出ですな。
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