1970年は3rdアルバムの好調な売上げも後押し、TVやラジオへの出演、そして多くのコンサート・ツアーをこなす彼らにとって大変多忙な毎日で、同年2月6日から始まった全英ツアー終了の翌日には3回目の全米・ツアーに出発し、ニューヨークのカーネギー・ホールのステージに立っていました。
この同じ時期にやはり同じイギリスから“ピンク・フロイド”や“フェイシズ”等の大物ロック・グループがニューヨークでコンサートを開いていたにもかかわらず、カーネギーの客席にはアメリカ音楽シーンの大物たちの姿があったそうです。
ペンタングルのこの全米ツアーは約二ヶ月に亘ってアメリカ中を移動を繰り返し各コンサート・ホール、各クラブ(ライブ・ハウス)、各地の大学のホールで演奏し、最後の一週間をロサンゼルスのトルバドールでのライブで日程を終了し、このツアー中には15,000人収容の大学のホールで“ジェームス・テイラー”や“トム・パクストン”らのアメリカの大物ミュージシャンとの競演もあり大変好評も得ました。
彼らはこれらどの公演でも大変に熱狂的な歓迎を受け、アメリカの若者達にとってペンタングルは伝説的なグループとして受け入れられても行きます。
ツアー終了の5月にイギリスへ帰国した彼らは、翌月の6月にはサウンド・テクニクス・スタジオで次の4thアルバムのレコーディングのスタートなのですが、実際には三ヶ月程遅れて9月に始まる事になりました。
しかしこの頃はメンバー全員は連日のツアー等で非常に疲労困憊しており、ベースのダニー・トンプソンが望んでいた長期休暇もレコーディング以外にもコンサートやライブ出演等の多忙な過密スケジュールのために実現は無理でした。
そしてレコーディング前の6月30日には、ペンタングルのメンバーにとっては最悪の伝説の野外フェスティバルである“ワイト島ポップ・フェスティバル”の出演です。
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*次の水曜日から今年最後の12月。毎年この時期に言ってますが“今年もあと一ヶ月か…。
はや。
年を重ねていくうちに一年が速く感じるのは「子供が今まで生きてきた年数」と「大人が現在まで過ごして来た年数」でそのように感じる、らしいです。
確かに小3の子が「もう12月か…。今年も一年が過ぎるのは早いなぁ…」なんて、まあ、言いません…と思う。
もちろん「朝起きたら腰が痛いわ」とか「やっぱり冬は鍋やな」とか言う小3のお子がいるのかもわかりませんが。
昭和生まれのわたくしが子供の頃に過ごした正月は今思うと絵に描いたような“お正月”でした。
家の中で家族や親戚の家で百人一首、カルタ、トランプ、ダイヤモンド・ゲーム、バンカーズ・ゲーム、軍旗将棋、そして最後の仕上げは“八八”…花札ゲームの事です…でした。
外では凧揚げ、羽根つき、コマ回し、銀弾鉄砲で戦争ゲーム、べったん、ビー玉、ケンケン、カンけり、隠れんぼ、下駄隠し(下駄を隠してどうすんねん。犬か)等など。
親父が生きていた頃には、この時期になるとそろそろ正月のお節料理をどこへ注文するか、とネットやカタログ等で物色していました。まあ、一年に一度位は贅沢なモノを食べるのもいいけれど、出来るだけ珍しい食材の料理を探しましたな。(米朝さん風)
まあ、食材にそんなに珍しいのはなかったですが、一度は6万円のお節料理を京都の老舗の料亭へ注文しましたよん。
数の子を甘辛く炊いたのが入っていて、それ一回だけですが。 許せんわ。
子供にとっては冬休み前でXmasもあり、正月はお年玉…とテンション上がる季節ですな。
コメント
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