DAVEY GRAHAM/The Midnight Man LIVE AT St. Andrews Folk Club 8th May 1966
by Geoff Harden,2007
「デイビー・グレアム・アット・セント・アンドリュース・フォーク・クラブ」
byジェフ・ハーディン 2007年
(輸入CDより)
「1962年に設立されたフォーク・クラブは私にとって今までになかった新しい出来事でした。それまで "フォーク・ミュージック"について知りませんでしたが、セント・アンドリュース大学でそのクラブの設立を誰かに伝え聞いた時に私も入会を勧誘されました。
彼ら学生は不快な歌も歌ってはいましたがその中でもいくつかの本物もあり、主催者(モーリス·フランケル)の一人は私に「彼らにとっては自分達の歌う場所と時間を見つけた。それにビートルズの曲のいくつかは将来的にはフォーク・ソングになるはずだ」と予言しフォーク・ミュージックにかなり広範な定義も与えました。
クラブは演奏者と観客との間の障壁もなく大変陽気な場所であることがわかり、彼らは驚くほど高い水準の演奏の力を持った歌手やミュージシャンが多く集まるようになりました(ボブ・ディランも最初はクラブで歌っていました)。私はすぐにクラブのプライベートな記録係で重要なレコーディング・テープを持つセント・アンドリュース大学の数少ない一人となり、大学での4年間におけるこれらの記録は驚くべきコレクションを確立しました(一度だけ誰でも録音されることについて不満を言いましたが)。
それからある夜の大変注目が集まるクラブのコンサートが終わる頃に、デイビー・グレアム関係の代表の女性がやって来て録音をしているのかを尋ね、私はいつも記録することはアーティストに許可を得ていることを伝えました。
それがあなたが今持っているその重要で忘れがたいデイビー・グレアムのパフォーマンスの記録がこのCDです。(ジェフ・ハーディン 2007)
♪このアルバムはセント・アンドリュース大学のフォーク・クラブが1966年の5月8日に催したライブの模様を録音したものです♪
(収録曲とデイビー・グレアム自身のコメント)
1. JUBILATION
偉大なピアニストのジュニア・マンスの作品。おそらく「Cubana Chant」(レイ・ブライアント作だった?)の後の作品ですばらしい演奏をするジャズ・プレイヤーです。それはジャズ・メッセンジャーのアート・ブレイキーとホレス・シルバーが「魂の演奏家」であるセロニアス・モンクの作品を非常に明快に演奏する方法と同じだったと思います。
2. TRAVELLING MAN
ギリシャへの旅行の直前にこれを書きました。
3. SALLY FREE AND EASY
これは海軍にいたシリル・タウニーが後年に書きました。彼は西側の国で 「Monday
Morning」「Chicken On A Raft」「The Oggie Man」等多くの曲を書きました。
4. I’M READY
ベーシスト、ウイリー・ディクソンの往年の作品。彼は多くのブルースを作りしばしばマディ・ウオーターズとハーモニカのリトル・ウォーターズそして彼のバンドで歌われました。
5. WORK SONG
私が思うにはアドレイ・ブラザースのトランペットの「キャノンボール」で1964年より以前に作曲されたと思っています。
6. ROCK ME
私がアレクシス・コナーのバンドにいた時に彼から教えてもらったシカゴサウンドの曲。
7. NO PREACHER BLUES
LP「ALLTHAT MOODY」にこの曲を最初に録音しました。
8. THE PREACHER
アート・ブレィキーとジャズ・メッセンジャーを結成したホレス・シルバーの書いた曲で彼は曲の途中の8小節にこれを挿入しました。
9. SWEET HOME CHICAGO
この曲もアレクシス・コーナーから学びました。
10. THE CAT CAME BACK
多分1955年頃に「LifeGets Tedious, Don’t It」とほぼ同時期にこの曲を初めて知りました。
11. BETTER GIT IT IN YOUR SOUL
偉大なベーシスト、チャーリー・ミンガスの曲から。
12. NEIGHBOUR, NEIGHBOUR
いくつかの良いアドバイスを...
13. SO TIRED
ジョニー・グリフィン・ビッグ・ソウル・バンド からで「PanicRoom Blues」でもよく知られています。
14. SKILLET GOOD & GREASY
1956年にドイツ人から教えてもらいました。
15. BUHAINA CHANT
創始者であるアート・ブレイキーはマスタードラマーをアフリカで学びました。
16. MONEY, HONEY
ジェス、別名チャールス・カルホーンによって書かれ50年代にドリフター・アンド・エルビス・プレスリー で有名になった曲。
17. MAAJUN
1961年にモロッコでアブ・カダールのカフェで学んだ。
18. MISERLOU
スティーブ・ベンボーに感謝します。
19. SHE MOVED THROUGH THE FAIR
オリジナル曲の作者はマリー・ブラックとコネリー・コラムとの共作でこれはお気に入りのバージョンです。
20. BULGARIAN DANCE
オリジナルはA.L.ロイドのコレクション「イングランドのフォーク・ソング」から。
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*かなり意訳の入ったいつもながらのわたくしの翻訳ですが、なんとか意味は通じたのかと。(まあ、頼まれて書いたわけでもないので間違いがあっても責任はとらないよ)
*ようやく酷暑の夏が終わり朝は暖房を入れる11月に入り湿度もギターに良い季節に変わりましたが皆さんのギターはお変わりありませんでしょうか?(これは英語の翻訳ではない。文章がヘタなだけ)
*翻訳といえばバート・ヤンシュ自身が書いたハード・カヴァー本が20年程前に出版されているのですが未だに翻訳されていないようです。ボブ・ディランやビートルズ等の有名プレイヤー関連のはすぐに翻訳本が出版されるのにブリティッシュ・フォーク関連のはほとんど出ない。出ても誰も買わんけどしゃあないか。
*ここ1年程は量子物理学の本を読み漁っています。もちろん数式のない一般向きの内容でニュー・トリノやクォーツ等の素粒子等を中心に説明しているものなのですがおもしろい、と言うか世の中は大変不思議だとわかります。電子や光(光子)は「点」であり「波」でもある、て頭の中で絵として浮かばない。電子なんて1個、2個と数えられるのに「波」でもある、と書いてあるのですが。で、今は「超弦理論」の本を読み出しています。いろいろな種類の素粒子はひとつの弦の振動である、だそうです。
----------広岡祐一/2013/11/05記----------
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