ライブ・ハウスに出演している生徒さんが何人かいます。まだレギュラーでなくて誰でも参加出来る“アマチュア・
デー”や曜日によって飛び入り出演がOKのイベントで、出演希望者の何人かが2~3曲ずつ演奏する多くの
店が催しているイベント・ギグです。
僕の世代では…1970年代ですが…ライブ・ハウスに出演する手段には各ライブ・ハウスのオーデションを受け
るのが一般的でした。オーデションの情報は今では伝説の関西発の情報ミニコミ雑誌「プガジャ」の愛称で人
気のあった「プレイガイド・ジャーナル」でよく探したもんです。
(この「プガジャ」は関西を中心に音楽やレコード、ライブ・ハウスの情報案内等と関西で活動しているミュージ
シャンの手記などが掲載されて何年もそのスタイルを変えないのが我々には魅力だったもんですが、時代とと
もに購買部数も減り後から出た大手出版社の「Lマガジン」に飲み込まれて廃刊)
で、このオーデションはその店のオープン時間前にオーナーや責任者等が客席からオーデションを受けるために
集まった各アマチュア・ミュージシャンの演奏を順番に実際に聴いて合否を決めるスタイルで、テープ等は不可
が多く、あくまでも目の前での“生演奏”を聴きその実力を判断していました。そして出来る限りオリジナル曲を
求められました。オーデションに合格後のステージでコピー曲を演奏する場合は店側が当時の「日本著作権協
会」へ申請して使用料も払っていただきました。
オーデションに合格すると週1の月4回ギグで3ヶ月程を演奏が出来て交通費やわずかですがギャラもいただき、
評判が良ければ最初は出番が平日でも金、土、日曜日などの集客率の高い曜日に変更し、また出演期間
も延長になりました。
また、店によって月に一度位はメジャーのプロ・ミュージシャンをゲストとして招き店長が僕たちに「よく聴いて
勉強しいや」と励まされたのを覚えています。それは当時のライブハウスの経営者、店長なども元または現役の
ミュージシャンでライブハウス運営のいろいろな考え方がミュージシャン側の考えに立つ方が多くいました。
ただしそれなりにオーデション合格の壁は厚いのでアマチュアといっても音楽レベルは必然的に高くなります。
それに合格してギグを数回こなしてもそのミュージシャンの日に限って集客率が極端に低くなれば途中で出演
打ち切りの厳しさもありましたが…。
(続く)…と思う。
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