1967年8月13日にウィンザーで開催された「第7回ナショナル・ジャズ&ブルース・フェスティバル」にペンタングルは「The Pentangle with Bert Jansch」のバンド名で出演。
このコンサートの他の出演者は、ジェフ・ベック、ジョン・メイオール、フリートウッド・マック、クリーム等の面々で、ペンタングルと他の出演者のミュージシャンやバンドとは音楽性があまりにも違うのでバートやジョンらはやりにくかったと思いますが、これはこの頃ではまだペンタングルを理解しているマネージャーも決まっておらず、バート・ヤンシュ、ジョン・レンボーンのソロ・アルバムを発売していたレコード会社トランスアトランティック・レーベルが彼らの名前を少しでも売るためにセットしたものと思われます。
*ジョン・レンボーンの証言
「あれはバンドの存続さえ脅かす最低の思い出だ」
*ジャッキー・マクシーの証言
「客席の中で大きな歯を出していた男が私達のステージ中、ずっと指差して大笑いしてバカにしていた。あれには本当に当惑した。あのフェスティバルに出演したのは間違いだった。あんなアーチィストやバンドが出演するイベントには私達の居場所はなかった、完全に浮いていたわ」
この散々なコンサートの後にペンタングルは、バート・ヤンシュと契約していたエージェントの計画でデンマークへコンサート・ツアーを開始しましたが、やはりこのデンマーク・ツアーも彼らペンタングルを「イギリスで話題沸騰のロック・バンド」の売り込みだっそうです。
それに、聴きに来るコンサート会場の聴衆の大半が史上最悪な十代半ばのロック・ファンが中心。
ジョンがいつものようにまずソロで数曲演奏した時には客席からコインが投げられ危険な状態になったようです。
そこでいつもより早く5人がステージに上がり“いつもと変わらない曲目をでき得る限りやかましい演奏”を始めると彼らは気に入ったようです。
こんなツアーの途中には名曲「スカボロ・フェア」を発掘し世に広めた英国のトラッド・フォーク・シンガー&ギタリストのマーティン・カーシーやデイヴ・スウォーブリックを加えたメンバーでラジオ番組用のコンサートやTV初出演のために30分のパフォーマンスも行いました。
この頃からバート・ヤンシュ、ジョン・レンボーン、ペンタングルはデンマーク、スペイン、イタリア、オーストリア等のヨーロッパのTV番組によく出演しています。
何本かのビデオを見るとスタジオや野外でのコンサート中継がほとんどで、客席には小さな子供を抱いて聴きにきた夫婦のカップルが多くいます。
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*「Pentangle/The Time Has Come」のブックレットを参考/参照をさせていただいています。
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