ディヴィ・グレアム、バート・ヤンシュが亡くなった後、彼らの(もちろんジョン・レンボーン、ペンタングルも含めて)動きや情報がほとんど伝わらなくなり久しい。
発信する情報がないのは僕のようなファンとしては寂しく、少なくともDavyとBertの新曲はもう聴く事が出来ないのが残念です。ただしアーカイブ的な録音の音源が見つかればCD化される可能性(ディヴィのようにファンからの提供で)はあると思いますが。
で、何か彼らについて書きたいと常々思っているので過去に掲載されたインタビューの抜粋を載せます。
(ジョン・レンボーンへのインタビューから抜粋)
---生年月日は?
>1944年8月8日、ロンドンだよ。
---音楽に興味を待ったのは?
>スキッフル・ブームの頃で、14歳の僕はアートスクール(各美術、音楽等を中心とした学校)へ入学。
僕のいた学校にはヤードバーズ、ザ・フーのメンバーやサンディ・デニーも少し後に入って来たよ。
62~63年の頃は借り物のエレキ・ギターで(高くて買えなかった)友人のR&Bのバンドで演奏していたんだけど生まれて初めて買った5ポンドのアコースティック・ギターでフォーク・クラブに出演するようになった。主に経済的な理由からだけど。
---演奏していた主なクラブは?
>トルバドール、カズンズ、ブラック・ホースなどのクラブで、そこにモロッコからDavy Grahamが帰って来たんだ。で、全く新しいアプローチでギターを弾き始めた。もちろん影響されたよ。彼が演奏する時は客席の一番前に陣取って彼のプレイをジィーと見てた!(笑)
“ディヴィが一番のパイオニア”と言っているマーティン・カーシーはひとつの形を決めたらそれを崩さずにプレイする人だし、バート・ヤンシュはその頃にはすでに自分のスタイルを確立させていた。
他にもいいギタリストはたくさんいたけど(ミック・ソフトリー、ニック・ジョーンズ、マーティ・シンプソンなど)、その元祖はやはりディヴィだね。
---あなたが“フォーク・ギタリスト”と呼ばれる事については?
>ギターはアメリカの楽器、とされていたからイギリスのトラディショナル・ソングの本筋から見たらギターを使うこと自体が邪道だったんだ。もともとトラッドは無伴奏で歌われるべきもので、伴奏は邪魔をする、といった意識が当時は非常に強かった。
ところがディヴィ・グレアムがシャーリー・コリンズ(トラッド・シンガー)と作ったアルバム『Folk Roots,New Routes』でみんなのギターに対する見方が変わった。ディヴィはもともとアレクシス・コーナー(英国ブルースの重要人物)のところでプレイしていたから“ブルース・ギタリスト”と思われていたんだけど、様々な音楽を消化して自分のスタイルを作り、フォークにもそれまで無かった全く新しい側面を与えたんだ。
それで僕らも随分やりやすくなったんだよ。
---あなたのギター・スタイルはどのあたりで築かれたのでしょうか?
>特に意識はしていないよ。けれどペンタングルを結成する前からジャッキー(ペンタングルのヴォーカル)とトラディショナル・ソングをやってみたことはあったんだ。当時はどのように演奏するか(無伴奏が主流に対して)いろいろと考えて今でこそトラッドとして捉われている曲も16世紀なんかには当時のポピュラー・ミュージックだって事がわかり、しかもその頃の唄には伴奏も付いていたんだ。
もちろん近代的な和声学が確立する前のことだけどポリフォニックなハーモニーがついているんだ。3度、5度や平行4度とかの和音がモダール的に存在しているんだ。それを知って“何だ、これでいいんじゃないかっ!”って感じだよ。
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とまだインタビューは続いているのですが次回に。
--------広岡祐一2013年07月26日記--------------
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