「コンプリート・ギタリスト by ダック・ベイカー 1999」Vol.3
1959年にケン・ラッセル製作の英国TV番組でデイビー・グレアムが後に「いくつかの不審で疑わしいコードが特徴のブルース的なバージョン」と表現した「Cry Me a River」の演奏が放映されました。
その時の一部分は数年前にジャン・レマン・プロダクション製作のスコットランドBBCの番組「Acoustic Routes」にも使用されその中で「どのようにしてそのようなユニークなアプローチが出来るのか?」とインタビューを受けていましたが、確かにデイビーの先頭に立って切り開き開拓して広げた音楽スタイルはこの先何年も残ると思います。
1965年にリリースされた2枚のアルバムは伝説的なアラン・ロマックスが所属していたフィフィティーズ・サザンフィールド・レコードから「FOLK,BLUES AND BEYOND」と英国の伝統的で繊細なトラッド歌手のシャーリー・コリンズとの特に重要なアルバム「FOLK ROOTS,NEW ROUTES」で、デイビーは後にペンタングルや他のフォーク/ロック・グループが挑戦すると思われる道をシャーリーとの共演で示しました。
そして60年代後半のレコードは大変派手で、おそらく実験的なスタイルを混ぜる事に関してあまり成功していませんでしたが、ギター以外のいろいろな弦楽器の演奏を始め1970年代中頃にキッキング・ミュールでレコーデイングを開始するまでの2~3年間は音楽シーンの表舞台には出ずにルネサンス・ミュージックを楽しみ、自分自身の音楽の範囲を広げて最終的には古典曲や古楽のレパートリーの勉強を始めていました。
このように舞曲やエア等の編曲、そしてアイルランド音楽や文化に対して関心を持ったのは父親がゲール語の教師であったのも関係するかもわかりません。
同時に他の楽器の勉強も続けキッキング・ミュールからの2枚目のレコード「DANCE FOR TWO PEOPLE」では中東の楽器ウードやブズーキーの演奏を収録し、この「THE COMPLETE GUITARIST」では各種の異なるチューニングを使用しています。
興味深いのはデイビーが初期の北アフリカへの旅でギターによってムーア人の音楽を模倣する方法を探しD-A-D-G-A-Dチューニングを考案しました。1970年の中頃にはマーティン・カーシーから学んだチューニングE-A-D-E-A-Eにも深く興味を持ち素晴らしいバージョンで収録した「Lord Mayo/Lord Inchiquin」は長年に渡って多くの他のギタリストにカバーされています。
(to vol.4)
-----------------------------
う~ん、やっぱりところどころ変な文章になっている。 ま、エエことにしとく。
*ところでDavey Grahamの"Davey"のスペルですが初期は"Davy"でした。本人がスペルを改名したとのことですが「アンジー」も"Anji"や"Anjie"と各ギタリストによって微妙にスペルが異なります。まあ、演奏スタイルも異なるのでそうなるのでしょう。
*先日Amazonで購入したDVD「召使」をまだ観ていない。
いくつかの賞も受賞している1963年の英国の映画作品ですがデイビー・グレアムが出ています。
と言ってもそのシーンはYouTubeで観れますが。
----------広岡祐一/2013/10/04記----------
1959年にケン・ラッセル製作の英国TV番組でデイビー・グレアムが後に「いくつかの不審で疑わしいコードが特徴のブルース的なバージョン」と表現した「Cry Me a River」の演奏が放映されました。
その時の一部分は数年前にジャン・レマン・プロダクション製作のスコットランドBBCの番組「Acoustic Routes」にも使用されその中で「どのようにしてそのようなユニークなアプローチが出来るのか?」とインタビューを受けていましたが、確かにデイビーの先頭に立って切り開き開拓して広げた音楽スタイルはこの先何年も残ると思います。
1965年にリリースされた2枚のアルバムは伝説的なアラン・ロマックスが所属していたフィフィティーズ・サザンフィールド・レコードから「FOLK,BLUES AND BEYOND」と英国の伝統的で繊細なトラッド歌手のシャーリー・コリンズとの特に重要なアルバム「FOLK ROOTS,NEW ROUTES」で、デイビーは後にペンタングルや他のフォーク/ロック・グループが挑戦すると思われる道をシャーリーとの共演で示しました。
そして60年代後半のレコードは大変派手で、おそらく実験的なスタイルを混ぜる事に関してあまり成功していませんでしたが、ギター以外のいろいろな弦楽器の演奏を始め1970年代中頃にキッキング・ミュールでレコーデイングを開始するまでの2~3年間は音楽シーンの表舞台には出ずにルネサンス・ミュージックを楽しみ、自分自身の音楽の範囲を広げて最終的には古典曲や古楽のレパートリーの勉強を始めていました。
このように舞曲やエア等の編曲、そしてアイルランド音楽や文化に対して関心を持ったのは父親がゲール語の教師であったのも関係するかもわかりません。
同時に他の楽器の勉強も続けキッキング・ミュールからの2枚目のレコード「DANCE FOR TWO PEOPLE」では中東の楽器ウードやブズーキーの演奏を収録し、この「THE COMPLETE GUITARIST」では各種の異なるチューニングを使用しています。
興味深いのはデイビーが初期の北アフリカへの旅でギターによってムーア人の音楽を模倣する方法を探しD-A-D-G-A-Dチューニングを考案しました。1970年の中頃にはマーティン・カーシーから学んだチューニングE-A-D-E-A-Eにも深く興味を持ち素晴らしいバージョンで収録した「Lord Mayo/Lord Inchiquin」は長年に渡って多くの他のギタリストにカバーされています。
(to vol.4)
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う~ん、やっぱりところどころ変な文章になっている。 ま、エエことにしとく。
*ところでDavey Grahamの"Davey"のスペルですが初期は"Davy"でした。本人がスペルを改名したとのことですが「アンジー」も"Anji"や"Anjie"と各ギタリストによって微妙にスペルが異なります。まあ、演奏スタイルも異なるのでそうなるのでしょう。
*先日Amazonで購入したDVD「召使」をまだ観ていない。
いくつかの賞も受賞している1963年の英国の映画作品ですがデイビー・グレアムが出ています。
と言ってもそのシーンはYouTubeで観れますが。
----------広岡祐一/2013/10/04記----------
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