それまでレコードの会社の紹介や今までの伝で仕事を取っていた彼らはこの時期に非常に有能なマネージャー、ジョー・ラスティグに巡り会うことになりました。
NY出身で1960年にナット・キング・コールの宣伝マンとして英国に渡りそのまま住み着いたジョー・ラスティグはジュリー・フィーリックスのプロモーションを担当。その有能なマネージメントで彼女を一躍全国的なスターにしました。
当時、英国の国営TV、ラジオのBBC放送は音楽番組に力を入れ始めた頃でこういったメディアへの露出を彼はうまく利用しています。ジョン・レンボーンもまだバンドとして組んでいなかった時に知り合ったベースのダニー・トンプソンはTV番組でジェリー・フィーリックスと知り合ってその彼女のマネージャーであるジョーの有能ぶりには気が付いていました。
そしてペンタングのホースシュー・クラブのステージをジョー・ラスティグに観に来るようにバート・ヤンシュが誘いました。
*ジョー・ラスティグの証言
「ある晩、彼らのステージに招待され観に出かけた。すぐに気にいったよ。僕のマネジャーとしての信条は非常にシンプルだ。屑のようなバンドでもマネージャーがうまくやれば成功する。それならペンタングルのようなテクニックに優れたミュージシャンにそれを用いない手はない、と言う事だ。
それと僕が組みたくなるのは、自分の音楽に自信を持っているミュージシャンだ。レコードの内容や音楽的な事には一切口出ししない。アーティストとしての方向は本人たちに任せる。ようするに売れるためにこうしなさい等の注文はしない、僕はビジネス全般のみを取り仕切る。
あと、契約しているバンドやミュージシャンとはプライベートでは付き合わない。常にビジネルライクの仕事上の付き合いだけ。
ペンタングルはこの有能なジョーとマネジャー契約を結んだのは間違いではなかったのですが、5年先に解散する理由にもなったようです。
*次からはペンタングルの音楽性について具体的に書いて行きます。
どのジャンルにも入れられない彼らの音楽を説明出来る人は未だにいないのですが…。
*「The Pentangle/The Time Has Come」のブックレットを参照/参考させていただいています。(Part9へ)
NY出身で1960年にナット・キング・コールの宣伝マンとして英国に渡りそのまま住み着いたジョー・ラスティグはジュリー・フィーリックスのプロモーションを担当。その有能なマネージメントで彼女を一躍全国的なスターにしました。
当時、英国の国営TV、ラジオのBBC放送は音楽番組に力を入れ始めた頃でこういったメディアへの露出を彼はうまく利用しています。ジョン・レンボーンもまだバンドとして組んでいなかった時に知り合ったベースのダニー・トンプソンはTV番組でジェリー・フィーリックスと知り合ってその彼女のマネージャーであるジョーの有能ぶりには気が付いていました。
そしてペンタングのホースシュー・クラブのステージをジョー・ラスティグに観に来るようにバート・ヤンシュが誘いました。
*ジョー・ラスティグの証言
「ある晩、彼らのステージに招待され観に出かけた。すぐに気にいったよ。僕のマネジャーとしての信条は非常にシンプルだ。屑のようなバンドでもマネージャーがうまくやれば成功する。それならペンタングルのようなテクニックに優れたミュージシャンにそれを用いない手はない、と言う事だ。
それと僕が組みたくなるのは、自分の音楽に自信を持っているミュージシャンだ。レコードの内容や音楽的な事には一切口出ししない。アーティストとしての方向は本人たちに任せる。ようするに売れるためにこうしなさい等の注文はしない、僕はビジネス全般のみを取り仕切る。
あと、契約しているバンドやミュージシャンとはプライベートでは付き合わない。常にビジネルライクの仕事上の付き合いだけ。
ペンタングルはこの有能なジョーとマネジャー契約を結んだのは間違いではなかったのですが、5年先に解散する理由にもなったようです。
*次からはペンタングルの音楽性について具体的に書いて行きます。
どのジャンルにも入れられない彼らの音楽を説明出来る人は未だにいないのですが…。
*「The Pentangle/The Time Has Come」のブックレットを参照/参考させていただいています。(Part9へ)
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